フォーラムアイ 事務局のご案内
大阪商工会議所 東支部
異業種交流会「フォーラム・アイ」事務局
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フォーラムアイ お問合せ先
大阪商工会議所 東支部 異業種交流会「フォーラム・アイ」代表幹事
SPリンクリレーション
柳川 直紀
〒552-0004
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FAX 06-6556-6504
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フォーラム・アイ・ミラノベニス視察

フォーラムアイメンバーがミラノ・ベニスへ視察旅行。
様子をアップしていきます。
参加した皆さん、「この写真載せたらいい」のがあれば提供お願いします。
また、間違いなど、変なところがあれば知らせてください。

11月30日(日曜)<第1日目>
関空行きバス乗り場、上六へ。
出雲さんも来た。
関空でNTTの海外用のレンタル電話を借りた。出雲さんも同じく申し込んでいた。
集合場所に行くとすでに何人かが来ていた。
添乗員もいて、
「添乗員の由良です」挨拶がきた。昨年も同じく添乗した人だという。
時間までにほとんどの人が遅れることなく集まった。
佐藤元相、河原治、大崎玄長、出雲雅則、樅山哲也、松尾博文、米澤秀明、熊谷蘭子、山本百合子、東京の大田区から 山田伸顯、山田佳子夫妻が参加した。私を含めて12人だ。
あと現地で、横山英治、横山さん奥様、石川博、石川すみ江さん等4人が、集合することになっている。
私達を乗せたルフトハンザLH741便は予定通りの10:15出発した。
約12時間飛んで、フランクフルトに着いた。ここでミラノ行きに乗り換えるのだ。ユーロ加盟国に入ったのでパスポートチェックがあった。簡単なものだ。しかし以前ヨーロッパ旅行の時より厳しい感じがした。これでイタリア入国はなんの検査もない。
携帯電話のチェックをした。家にかけてみた。かかった。
約1時間後ミラノ行きの飛行機に乗った。ミラノに着いて、だいぶ荷物の出るのが遅く感じられた。
国内線のような感じでそのまま私たちを乗せる貸し切りバスの方へ行った。
バスは大型でゆったりできる。
ホテルに着いた。ホテル名は「ウナセンチュリーホテル(una century)」。
二人一部屋で私は出雲さんと同室になった。このペアは今回の旅行の終わりまで組まれた。
ホテルで軽く食事をすることにした。第1回目のイタリア料理だ。

12月1日(月曜)<第2日目>
朝5時頃起きた。時差の関係で、長い夜のような感じがした。出雲さんも起きていた。
一緒に外へ出た。私はコンビニを探したかった。水とビールを買うつもりだ。
あとでわかったのだが、イタリアには日本のような24時間営業のコンビニーはないようだ。
外はまだ暗かった。何となく歩いていくと大きな駅のようなところに出た。後でわかったが、ここはミラノ中央駅だった。
6時頃だがあまり人がいない。駅の中に入った。本当に大きな駅だ。ホームの方に行ってみた。改札口というのがなかった。ホームに自由に入れる。
構内のbarというところに入った。このbarは至る所にあるがパンやコーヒーも売っているし、酒も売っている。たばこも売っている。ちょっとしたコンビニーの役割も兼ねている。
出勤前の人たちなのか、立ったままでコーヒーとパンを食べている。私たちもパンとコーヒーを買って食べた。
駅の周りを歩いてみると、ホームレスがいた。ミラノにもいるのだ。家族のようだ。写真は顔が写らないように撮った。
ホテルへ戻ってくるとき、裏門のところに、barがあったので入った。店名はSISTERS BARというところ。ビールを頼んだ。店員は陽気だ。写真を撮ってくれた。
ホテルの朝食はバイキング形式だが、パンやソーセージ、ベーコン、タマゴ、チーズなど。ご飯のようなのはない。野菜がない。もちろんスープもない。ミラノにいる間、朝食はこの同じメニューだ。
横山さんから電話が入った。
私たちのホテルへ向かっているのだが、今日はストで交通機関が止まっているので、少し送れるかも知らないので、待ってくれとのことだ。
フォーラム・アイ用の電話番号は佐藤代表幹事が持っている携帯なのだが、番号の知らせが間違ったせいで、私の携帯が連絡用の電話になった。
私たちが止まっているウナホテル・センチュリーuna centuryに現地集合の人たちも集まってきた。
9時にホテルを出発した。外は雨だ。ミラノにいる間ずーっと雨だった。
今日は交通機関がストで道は混んでいた。
昼からミラノ商工会議所へ訪問することになっているので、午前中急ぎ観光をすることにした。
スフォルツァ城とドウオモへ行った。
昼食はドウオモ近くのセルフサービスの食堂に入った。
近くのアーケードへ行った。
プラダ本店で河原さんが奥さんの頼みということで鞄を買った。
ミラノ商工会議所のエリナさんが向かえに来てくれた。
PROMOSという商工会議所で特別に海外へ向けての活動をする部署のAsian Operation ManagerのBenetti さんが応対してくれた。
その後展示会へ行った。
世界の手工業の展示だが、時間が少なくってほんの少ししか見ることができなかった。
ホテルに戻り、予定が変わり外のレストランへ夕食を食べに行った。
ホテルに戻ると10時頃、すぐに眠った。

12月2日(火曜)<第3日目>
昨夜早く寝たせいか、朝3時頃目が覚めた。
6時半ごろ、出雲さんと外へ出た。
また駅の方へ行った。昨日よりは時間が遅めだったので人が多い。
ホームの方へ入った。改札口がないので、電車に乗ることもできる。車両の中をのぞいたりした。車両の座敷は豪華だ。
フリーショップに入った。スーバーマーケットのようなものだ。ビールや水、そして音楽CDを少し購入した。
今日も同じく9時に私たちを乗せた貸し切りバスは出発した。
今日はミラノ在駐の大島さんといって、今回のビジネスのコーディネートをしてくれた人が一緒だ。
9:45ごろ、アクセサリ工房<ビジョテリア>へ行った。
女性社長が一人でやっている小さな工房だ。
しかし世界に自分のブランドで売り出している。
日本にも出ているとのことだ。
毎日机に向かうとアイデアが生まれるという。社長の彼女はこの机を「魔法の机」という。アイデアがつまったとき、この机の上にそのものを置き見つめているとアイデアが浮かんでくるという。一つ見本ができたら、生産はアウトソウシングへたいていお年寄りのおばさんたちにお願いするとのことだ。
彼女はあれこれ忙しく振る舞う。雑用まで一人がしているので、だれか手伝ってもらう人もいたらいいのにと思うが、イタリアでは日本のようにちょっとしたアルバイトのように使うことができない。使うのなら従業員として雇わなければならない。
大島さんの話では、もし10万円の従業員を雇うとすると、出費は25万円ぐらいかかるという。本人に10万円渡すとして、社会保険など15万円かかるというのだ。しかも、ずうっと保証をしないといけない。途中でいらなくなってもやめさせることができないという。
11:40ごろ、少しミラノ市から離れたところ、ミラノ県内ではあるが、ちょっとした城のような、領主の屋敷のようなところに案内された。
ここでCNAという異業種交流会の全国組織のミラノ支部の人たちと交流を行う。
4、50人ぐらいが私たちを迎えてくれた。その地方の市長から始まって、参加者の主な人たちの自己紹介から、これから交流をもつとして、実際にビジネスをしていこうとCNAメンバーたちは積極的だ。
私たちも自己紹介をした。一分間ずつといっても通訳を交えての話なので時間が掛かった。
紹介が終わってから、この建物の見学があった。いまは学校としても使っているらしい。庭もとても広く立派だ。
パーティー会場へ移り、ワインとクッキーの簡単な昼食代わりのパーティーだ。
どんどんワインは出るが、ビールがない。イタリアでは主にワインを飲んで、ビールはあまり飲まないらしい。

3:15ごろ、家具メーカへ行った。
しゃれたデザインの家具だ。工場も見せてもらった。写真撮影が禁止されているので、残念だが、家具は機能的でデザインがすばらしい。
経営は家族でしていた。会長の父がいて娘さんが社長だ。社内に展示ショールームもあった。イタリアだけでなくロシアやヨーロッパ各国から見学に来るという。
4:30頃、以前生野にも来たことのあるロッシーさんのカバン工場へ行った。
入り口は店舗になっていて、奥が作業場だ。中を見せてもらった。従業員たちが作業をしていた。一つひとつ手作業で丁寧に作っているのがわかる。山崎さんの作業場と同じようなものだ。
何人かがカバンを買った。私も買った。
7:30ごろ、Hotelサボイアのステファノ様より夕食のご招待を受け、Hotelサボイアへ。
特別ルームやスイトルームなどを見せてもらった。
レストランの特別の、私たちだけの部屋での夕食は豪華だ。お世話をする執事が3人も付いていて、フォークなど食べるごとに一つ一つ取り替えてくれる。ピアノの生演奏もしてくれた。
このホテルのセールスマネージャのFilippo Torrianiさんも同席しての食事会だ。
本当に生まれて初めてのリッチな気分の食事会だった。

ホテルに戻ると11時頃だ。
同室の出雲さんと午前2時頃までいろんな話をした。
出雲さんといままでよりもっと親しくなった。

12月3日(水曜)<第4日目>
5時頃目覚めた。出雲さんも起きていたので私も起きた。だから3時間ぐらいしか寝ていない。
また、昨夜の続きで出雲さんと話をした。
9時頃出発。今日の訪問は、SITESという福祉関係の車椅子のようなのを作る会社だ。ミラノ県境から5k程離れた、レッコ県(同じロンバルディア州内)にある企業。
今日も大島さんが一緒だ。
相変わらず雨の中をバスは進んだ。
SITES社は閑静な静かな場所にあった。
元々この会社は創業者の父はリフト台を作る会社であったが、今の社長である長女Elisabettaさんが福祉関係の機器を作る会社にした。
この会社は6人家族で経営をしている。
工場見学をした。写真撮影はオーケーだったので、作業風景をカメラに納めた。
見学の後、事務所でElisabetta社長からの話を聞いた。私たちからの質問にも答えてくれてとてもよかった。

次に予定していることもあって、時間がないので、昼食はガソリンスタンドのサービスショップで簡単にすますことにした。
イタリアでは一般的にガソリンスタンドが、ちょっとしたスナック的な役割をする。そこではパンや飲み物などを売っている。コンビニー的な役割をしているのだ。ここでサンドを買って食べた。
ヒルトンホテルで自転車工場の社長と会うことになっているので、そこへ向かった。
ヒルトンホテルの会場へ行くと、また来ていない、私たちは待った。
まもなくFabrizio Covoni社長を始め3人が来た。
社長とそのフィアンセ、そして間を取り持った、danio maniniさんだ。
その会社は3輪車を作る会社だ。
観光地で車ではなく、人力による三輪車に観光客を乗せて走る。環境にもよく、ゆっくりなので見物にもいい。

4時頃終わった。7時まで、自由行動だ。ヒルトンホテルの前の電柱の広告に「はな」という韓国料理の宣伝があった。ずーっとイタリア料理だったので、韓国料理を食べたくなった。
電話をかけた。すると「ヨボセヨ」と韓国語で応えてくれた。よかった。「食べに行こうと思うけど」といって、場所など聞いたが、「7時から営業です」という。
7時からはみんなと集合時間だ。別行動をすることもできない。不便だな。日本なら、いつでも営業しているのになあ。やむなく行くのをやめた。
7時からの夕食はZINGAROというレストランでスパケティに豚肉のステーキーだ。
10時頃部屋に戻って来た。カメラのメモリーがいっぱいに成ったので大崎さんのパソコンにデーターを保存した。メモリーをフォーマットしてまた撮影するためだ。
ミラノでの夜は今日で最後だ。

12月4日(木曜)<第5日目>
また朝3時頃、目が覚めた。
そのままもっと眠ろうと、うとうとしたが眠れないので起きることにした。
今日はベニス(Venezia)へ行くのだ。
6時頃出雲さんと外へ出た。今度は駅の方ではなく反対の方へ行った。
ミラノの道は斜めに交差するので、わかりにくい。少し進むと自分がどこにいるのかわかりにくい。地図をもっているのにだ。道を聞いてもはっきりしない。しばらく歩いて戻ることにした。
夜間銀行の現金出し機があったので、クレジットカードで試すことにした。一番小さい金額が50ユーローだったので、50ユーローと入力した。英語でもなく、イタリア語だったが、半分はカンに頼った。すると、現金が出てきた。おお、外国でも日本で発行したカードでお金が出るのだ。そばにいた出雲さんも感心していた。「もし、カードが入ったきり、出てこなければどうするつもり?」と。

昼にベニスへ出発なので午前中は自由時間だ。
出雲さんと地下鉄に乗ることにした。
バスにも路面電車にも。
ガイドさんの話では地下鉄はわかりやすいから乗ってもいいが、バスや路面電車はわかりにくいから乗らないほうがいいといわれた。
しかし、私たちは乗った。
地下鉄でレオナルドダビンチ記念館へ行った。

12月5日(金曜)<第6日目>
朝4時頃起きた。昨夜はよく寝た。6時頃出雲さんと外へ出た。
また周りは暗い。店もまだ開いていなかった。イタリアはたいてい店が開くのは7時からだ。
サンマルコ広場の方へ行った。小さい路地が入り組んでいる。サンマルコへは標識があったのでそんなに難なく行くことができた。
薄暗い中ではあったが、サンマルコに出ると、お!すごい。建物が何ともいえない。
ほんとうに、これが同じ地球なのかと思われる。
海辺の方にゴンドラがたくさん止めてあるところや、船着き場があった。そこにはどこからか船のバスというか船が着いて多くの人たちがやってきた。たぶんベニスの島以外に住んでいて、ベニスへ出勤しているのだろう。
船の料金表が掲げられているが、船の料金も時間で料金が決められているようだ。
イタリアではあらゆる乗り物が目的地によって金額が決まるのではなく、時間で決めているようだ。
ホテルへ戻ろうとしたが、道に迷ってしまった。小さな路地が本当に入り組んでいて、しかも同じような道があちらことらにあって、わからなくなってしまった。
しかも、うっかり地図や案内の本を持たずに出たので、だんだんわからなくなった。
もう一度サンマルコ広場の方へ戻ることにした。そちらへの道案内はあっちにもこっちにもあったので、そう難しくなくサンマルコへ行けた。
ところが、そこからのホテルへの道がわからなくなった。途中で私たちの一行の松尾さんに出あったので、ホテルへ戻れた。すぐ近くであった。
あとでわかったのだが、その近くをぐるぐる回っていたのだ。
町並みは、遊園地のような感じだ。
ベニスでの朝食もミラノと同じくバイキング形式で、同じようなお献立だ。
どうして野菜はないのだろう。
朝食を済まし、9時に集合。
ベニス現地案内役の馬場さんがホテルの集合場所に来た。もう一人イタリア人もいたが別にそばにいるだけで特別なことはしなかった。
馬場さんはベニスに住んでいるようだ。どのぐらいベニスの観光案内をしてきたのか、すらすらと本を読むがごとく観光案内をした。
ベニスの観光はまずサンマルコ広場へ。
ベニスの大統領が住んでいたところを見て回った。中は撮影禁止だったので写真は撮れなかったが、立派な絵や美術品があった。
サンマルコ寺院の中も見学した。
11時頃、ゴンドラに乗った。
私たちは2隻に分かれて乗った。運河というか島々の間、狭い水路をゴンドラは進んだ。ゴンドラに乗ってそこから見る町の風景や建物の景色がとても美しくきれいだ。
ミラノとは打って変わって寒くもなくいい天気だ。良かった。
ゴンドラには約30分ほど乗った。一人10.5ユーロだったか。
12:00ごろ、昼食。
食事が終わって、今度は船に乗って島巡りだ。
まず、ムラノ島へ。
ムラノ島はガラス工房の島だ。
ムラノ島のガラス工房は18世紀末から19世紀にかけて、若干の衰えをみせたが、20世紀に入ってから再び新しいアート・グラスのジャンルを発展させるなど、今日に至るまで、世界のガラスの中心地の一つとして、数百年の伝統をもつバロビエールBarovier 一族やバルビーニ Barbini 一族、セグーゾ Seguso 一族、ベニーニ Venini 一族などの名門を中心にムラノ島全体がガラスの島となって活動を続けているという。
先にベネチア・ガラスの全体を網羅したガラス美術館に入った。いろんなガラスの美術品があった。
あと、ガラスの加工工場を見た。職人が実際、花瓶や、馬の置物を目の前で作るのを見せてくれた。
それからガラス製品の販売のところへ案内してくれた。中国の観光の観光者向けの実演販売を思い出した。
大崎さんがグラスを購入した。
あと、もう一つの島、ブラーノ島へ行った。
ここは家の壁が彩りどりで赤や緑、とてもきれいに塗られている。
刺繍の町だ。本当にのどかだ。
ホテルに戻った。
夕食はサンマルコ広場の近くであるレストランで行った。部屋に戻って疲れたのですぐ寝た。

12月6日(土曜)<第7日目>
昨日の夕食はサンマルコ広場の近くであるレストランで行った。部屋に戻って疲れたのですぐ寝た。
朝5時頃起きた。
今日は自由行動だ。
出雲さんも起きていた。今日は朝の散歩はせず、二人でビールを飲みながら話をした。
7時頃、朝食を取り、外へ出た。もちろん出雲さんと一緒にだ。
市場の方へ行った。リアルト橋 Ponte di Rialtoを超えてしばらく行くと市場らしきものが見えた。野菜市場や魚市場など、日本と変わらなく、活気があった。船着き場のそばで、船から野菜などを運んでいた。
こちらの運搬には船を利用している。これがトラックのようなものだ。
9時過ぎごろ、一行がこの近くのスーパーに買い物に来るということで、一行と合流して、スーパーへ入った。食品売り場だ。チーズやチョコレートなどをおみやげに買った。皆さんも、いろいろと買っていた。

お昼の食事は中華料理を食べることにした。イタリアの料理もあるが、そのレストランには中国人がしているらしく、中華料理もあった。
久しぶりにラーメンや餃子、焼きめしなどを食べた。やっぱり米の飯がいい。毎日パンでは飽きる。
ホテルに戻って、休んだ。なんでか疲れたので少し眠った。

4時頃起きて一人で出かけた。
ベニスの写真が載っているカレンダを買った。
それと、最後の晩餐の絵がある壁掛けのようなものを買った。
夕食はホテルの近くの店に入った。
レストランというより、地元の客が入る簡単な食事をするところだ。安くっておいしいということで、地元のお客が家族連れで満員だ。
ホテルに戻って荷造りをした。
明日には日本に向かって帰るのだ。
10時頃寝た。

12月7日(日曜)<第8日目>
5時頃起きた。
昨夜荷造りをしたので、準備は簡単にできた。
スーツケースを部屋の外へ出して、出雲さんと外へ出た。
最後のベニスの町を散歩するためだ。
寒い。今日は、この旅行で一番寒いようだ。
日本にいるとき、ミラノやベニスは寒いと聞いてきたが、ミラノでは寒くなかった。その代わりにずっと雨であった。ベニスでもそんなに寒くなく、しかも天気もまあまだ。しかし、今日は寒い。
市場の方へ行ったが、今日は日曜日のせいか、店は開いていなかった。

ホテルに戻ってフロントにあるパソコンでインターネットをしているとき、佐藤さんや河原さんたち4人がこれからコーヒーを飲みに行く、いいカフェー店があるからという。出雲さんと私はそれに加わることにした。また市場の方へ行った。日曜日のせいか、周りの店はしまっているが、露地に入ったところのそのカフェ屋は開いていた。
店は外から見るよりきれいし、明るかった。早いせいか、マスタ一人でパンを焼いていた。
佐藤さんと河原さんは昨日このカフェ店に来て、すてきな女子店員と話をしたりして、楽しかったので、今日はその店員に渡すためのイタリア語でラブレターを書いて持ってきた。
しかし残念ながら、その店員は日曜日なので休みだという。
がっかりだ。
熱々の焼きたてクロワッサンとコーヒーはとてもおいしいかった。
ホテルに戻ると7時半、いそいで朝食をとって、8時出発だ。
水上タクシーに乗って、バスが待っている「ローマの広場」まで運河を進んだ。船上から眺める最後のベニスの景色、いくら見てもすてきだ。
バスに乗って空港へ。日曜の朝ということもあるが、風景はのどかだ。
マルコポーロ空港へ着いた。空港は建物がまだ新しい。
ルフトハンザに乗って、来るときと同じくフランクフルとで乗り換えだ。
またフランクフルトでバスポートチェックがあった。
ビデオを撮っている私に係員が注意をした。今取ったのを削除しなさいといわれたので、消すまねをした。そんなに強くとがめなく許してもらった。添乗員の由良さんの話しでは「今日はやさしいわ」といった。
時間通り飛行機には乗ったがなかなか飛ばない。なにかトラブルがあったようだ。工事服を着た係員が飛行機の中を行ったり来たりした。
40分ぐらいかかったか、やっと直って飛行機は出発したが、なんだか気持ちがよくなかった。

12月8日(月曜)<第9日目>
だいぶ遅れたが無事に関西空港に着いた。
8:40予定が9:30頃だ。
外に出て、全員で最後の挨拶を述べ、簡単な感想を述べ、解散した。
私や出雲さん、佐藤さん、樅山さん、大崎さんなど生野方面へ行く人たちは熊谷さんの迎えに来た車に乗せてもらって、家に帰ってきた。
なにか記念品でも売っているかと思ったが、残念ながらそのようなものは売ってなかった。周りにも何にもない。時間が少ないので入るのはやめて、戻ることにした。集合場所はドウオモ広場のところだ。
時図を見ながらまずバスに乗ったが一駅ぐらいで曲がったので降りた。そして別のバスに乗ってふた駅で降りた。
ミラノでの乗り物はどれを乗っても75分の間ならバスや路面電車乗り継ぎ自由だ。本当は地下鉄を乗ったら、他の乗り物にはその切符では乗れないといっているが、バスや路面電車に乗るときだれもなんにもいわれなかったので、そのまま乗った。
路面電車にも乗った。どこへゆくのかわからないが方向さえ決めてドウオモの方向へ行くのを乗ったら、その近くまで電車は行ったので降りた。
すこし時間があったので、アーケードのところで、カフェテリアに入った。ビールを頼んだら、ピザや豆が突き出しで出た。

11:30ごろ、集合場所に集まり、バスで昼食のところまで移動。
車の駐車がひどい。駐車禁止の場所であっても2重に止まっており、歩道の上にも車がいっぱい駐車していた。
昼食の場所はZINGAROというとっころ、ここは日本の観光客がよく来るところらしく。別の日本人観光団体も入ってきた。
料理もいままで食べた中で一番口に合っておいしく感じられた。

1:15分頃、バスはベニスへ向かって出発した。
約4時間後ベニスに着いた。その間、外の景色はのどかで、きれいだ。バスの窓から見る家も童話にでるような感じの家だ。日本のように高い建物はあまり見られなかった。
天気があまり良くなかったのが残念だった。それでも雨が降らないだけでも幸いだ。
ベニスに着いて、バスは観光税を払う関所のようなところへ行った。外部から来る観光バスはみな通行税のようなものを払うらしい。
バスは「ローマの広場」という船着き場までだ。ここからは船でホテルへ行く。
バスはミラノへ帰っていった。
水上タクシーに乗ってホテルへ行った。
当たりは暗かったので、見にくいが、それでも何ともいえないところだ。まるで地球ではない別世界のところに来たようだ。
7:00ごろ、夕食。イカスミのスパゲッティー、イカリングフライというイタリア料理だ。
食後、ほとんどのみんなは夜のベニス観光に出かけた。私も出たかったが、ずっと寝不足だったので、食事後部屋に戻り、すぐ寝た。9時頃だ